東京地方裁判所 昭和31年(行)31号 判決 1961年5月31日
原告 永井一英
被告 文部大臣
訴訟代理人 案川憲明 外三名
宗教法人 松岩寺
主文
被告が昭和三〇年九月二九日付でした宗教法人松岩寺規則の認証に関する訴願を容認する旨の裁決はこれを取消す。
訴訟費用は、原告と被告との間に生じた部分は被告の、参加によつて生じた部分は補助参加人の各負担とする。
事実
第一、原告の申立及び主張
原告代理人は主文第一項と同旨及び「訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因並びに被告及び補助参加人の主張に対する反論として次のとおり述べた。
一、宗教法人松巖寺は、宗教法人令(以下旧令という。)の施行当時は訴外宗教法人曹洞宗(以下曹洞宗という。)の被包括宗教法人であり、松山岩主がその住職として主管者かつ代表者の地位にあつた。ところで、旧令は宗教法人法(以下新法という。)によつて廃止され、新法は、旧令による宗教法人(以下旧宗教法人という。)を当然には新法による宗教法人(以下新宗教法人という。)とみなさず、旧宗教法人が新宗教法人となるためには、新法中の宗教法人の設立に関する規定にしたがつて規則を作成し、その規則について所轄庁の認証をうけたうえ設立の登記を経ることを要するものとし、かつその際に限つて旧宗教法人を包括する宗教団体との被包括関係を廃止することができるものとした。そこで、右松山岩王は旧宗教法人松巖寺(以下旧松巖寺という。)主管者として、昭和二七年一〇月二日附で所轄宮城県知事に対し、曹洞宗との被包括関係を廃止することを内容とする新宗教法人松岩寺(以下新松岩寺という。)規則の認証を申請したところ、宮城県知事は、昭和二九年四月一日付で、新法附則第一四項第三号による被包括関係廃止の手続がなされていないとの理由により、認証できない旨の決定をし、この決定は同月一〇日頃旧松巖寺に到達した。旧松巖寺は右決定を不服として宮城県知事に対し同年四月二五日頃再審査の請求をしたところ、同知事は同年一二月九日付で、「離脱通知を普通郵便で行なつたとしているが、新法附則第一四項第三号にもとずく被包括関係廃止の手続として適法にされているかどうか確認することができない」との理由で、右規則を認証できないとの決定をし、この決定はその頃旧松巖寺に到達した。そこで旧松巖寺はさらに被告に対し同年一二月一八日付で訴願の申立をしたところ、被告は昭和三〇年九月二九日付で右訴願を容認する旨の裁決をし、この裁決はその頃旧松巖寺に到達した。右裁決がなされた結果、宮城県知事は同年一〇月一一日新法第一七条第五項にもとずき右規則を認証し、それによつて同月一四日新松岩寺(補助参加人)の設立登記がなされ、同時に、後述のとおり当時原告がその主管者として登記されてある旧松巖寺の登記簿は新法附則第一九項により閉鎖された。
二、しかしながら被告のした前記裁決は次のような理由によつて違法である。
(一) 本件裁決は、訴願を申立てる資格のない者の申立にもとずき、裁決をうける資格のない者に宛ててなされたものである点で違法である。
(1) 旧宗教法人が、新法附則の規定により新宗教法人となるため規則の認証を申請し、或いは右規則認証に関する訴願を申立てその裁決をうけるには、旧宗教法人の代表者が旧宗教法人を代表してすべきものであるところ、旧松巖寺が申立てた本件訴願は、松山岩王が同寺の代表者名義で申立てたもので、被告はこれを受理し、松山を同寺の代表者と認めて同人宛本件裁決をしたのであるが、松山は、本件訴願申立時及び本件裁決時いずれも旧松巖寺の代表者ではなく、したがつて本件訴願を申立て、裁決をうける資格を有しなかつた。
(2) 、すなわち、松山岩王は、昭和四年曹洞宗から旧松巖寺の住職に任命され、以後引続き同寺の住職としてその代表者たる地位にあつたが、曹洞宗は、本件訴願申立に先立つ昭和二九年四月二一日付で同人に対し、曹洞宗規則第七八条に基く曹洞宗寺院住職任免規程(以下住職任免規程という。)第一一条(「住職が、檀信徒の大多数から不信任の表示を受け、宗務庁で住職として不適当であると認めたときは、管長は罷免することができる。」)により、松巖寺住職を罷免する旨の意思表示をなし、その頃これを同人に通知するとともに、同年五月一三日新たに原告を住職に任命し、直ちに主管者としての登記をすませた。
松山岩王罷免の具体的理由及び罷免に至る迄の経過は次のとおりである。
(イ)、旧松巖寺は、境内に一反八畝二五歩、境外に一町三反一畝八歩の墓地を所有し、他に寺の本堂、庫裡及びその敷地等を所有していた。ただ、公簿上は明治五年以来檀徒の共有名義になつていたが、必要な場合は何時でも寺へ名義書換をする旨の約束があり、念書も作られてあつて正しく寺の所有であつたのである。
しかるに、昭和二四年四月頃右寺有地たる通称吹上墓地と石巻市有地との境界争いが生じた際、当時の檀徒総代及川養治郎が市当局から指摘されて調べたところ、右吹上墓地及びその他約一反歩余りの墓地が松山岩王の個人名義に登記されているのを発見した。ここにおいてこれを憤つた檀徒の一人阿部松治が松山を横領容疑で告訴したが、右及川養治郎らが、寺の名誉を慮り、阿部をなだめる一方、松山に対しては寺の財産を早急に戻すよう説得し、同人をして昭和二八年九月二〇日迄には必ず登記名義を寺のものにすることを誓約させたうえ、警察に対しては松山に横領の事実がない旨を記載した上申書を提出した。ところが松山は、事態の不利を知つてか境外墓地に関しては登記名義を松巖寺代表松山岩王と変更したが、不信にも右誓約を実行しないばかりか、「土地は時効になつたから自分のものだ」等と開き直るようになり、さらには抹消登記請求の訴訟を起されても頑として名義変更に応じない。そのようなわけで、多数の檀徒の間に次第に住職松山に対する不信の念が高まつた。
参加人は、共有墓地その他を松山の個人名義にするに至つた事由として、共有名義にしておくと弊害が多いので当時の檀徒総代等と協議のうえ松山の個人名義にしたものと主張するが、協議のうえしたことなら前記のように昭和二四年当時そのことを有力檀徒が知らないでいるはずはないし、また、共有名義にしておくことに弊害があるなら松巖寺名義に直せはよいのであつて松山個人名義にする必要はないのだから、松山が、寺名義に名義変更すべく檀徒から預つた委任状等を濫用して自己名義に不法に移転登記をしたものであることは明らかである。
(ロ)、昭和二十八年末頃檀徒の一人が、昭和二九年四月迄に県庁より規則認証の決定がなされないと旧松巖寺は廃寺になつてしまうということをたまたま聞き及んだ。当時は旧松巖寺としても新法施行にともなう所定の手続をとらねばならない重要な時期にあたつていたわけで、すなわち、旧宗教法人は昭和二七年一〇月二日までに規則を作成し所轄庁に認証申請をしなければならず、所轄庁は申請を受理した日から一年六月以内(すなわち最も遅くとも昭和二九年四月二日迄)に認証に関する決定をすべきことと定められ、右期間内に認証申請をしなかつたり、または認証をうけることができなかつたときは、旧宗教法人は解散するものと定められていた。そこで始めて事の重大さに驚き昭和二九年二月頃檀徒総代及川養治郎等が松山岩王に問いただしたところ、松山からはまつたく曖昧な返答しか得られなかつたので、右及川等としては、松山が従来曹洞宗に対する宗務費の納入等の義務を怠り、かつ虚構の宣伝をもつて曹洞宗を誹謗する等の態度をとつてきたことから考えて、松山が規則認証申請を故意に怠り松巖寺を廃寺にしてその財産を横領しようとしているものと推測し、松巖寺を旧来どおり曹洞宗との被包括関係のもとに再建維持するためには、松山を住職の地位から追放するほかないと考え、右及川等が発起人となつて同年三月頃松山不信任の署名を集めたところ、一ケ月足らずのうち檀徒二一五名の署名を得ることができたので、これをもとにして曹洞宗宗務庁に対し、松山を罷免するよう上申書を提出した。ここにおいて曹洞宗は、事実調査のため当時宗務庁庶務部主事であつた原告を現地へ赴かせたが、原告がまず同年三月三〇日宮城県知事の手元において調査したところ、松山岩王から昭和二七年一〇月二日付で規則認証申請書が提出されており、しかもこれには必要な附属書類がなんら添付されていないことが判つた。すなわち、松山は、多数檀徒、法類等になんら諮ることなく、かつ包括宗教法人である曹洞宗に通知することなく、秘かに独断で、被包括関係廃止を内容とする単立松岩寺規則の認証申請を図つていたものであり、したがつて県知事としても書類不備を理由に却下する意向であることを知らされたので、原告は、旧松巖寺の危機を救うため、有力檀徒に諮り急ぎ新たな申請書を作成し県知事に提出した。松山は、原告からの事情調査のための面会申入を拒否し、剰え曹洞宗の名誉を傷けるような言動に出たため、面会は不能に終つた。
他方、松山が右のように檀徒等に無断で単立寺院設立を図つていたことを知つた檀徒等は、事の重大さに驚ろき、同年四月七日総代及川養治郎、同阿部新三郎その他有力檀徒が発起人となつて檀徒総会を開き、その席で松山の弁明もなされたが、出席者二六六名(うち委任状による者一四九名)の全員一致で、松山を松巖寺より追放し曹洞宗包括寺院松岩寺の再建に努力することを決議した。因に旧松巖寺の檀徒数は、曹洞宗に対する届出数において二〇六戸、実数においては三〇〇戸前後であつたから、右檀徒総会への出席者数は、檀徒の大多数に該る。
(ハ)、そこで曹洞宗は、事実調査のため現地に派遣した原告の調査の結果等からして、檀徒らの松山不信任の表示は止むをえないものであり、これに対する松山からの理由ある弁明もなされなかつたので、調査の結果松山は松巖寺檀信徒の大多数から不信任の表示をうけ、かつその日頃の行状からしても松巖寺住職として不適当と認め、住職任免規程第一一条により、代表者たる管長の名において同年四月二一日同人に対し、松巖寺住職を罷免する旨の意思表示をした。
(3) 、以上のとおり、曹洞宗が松山岩王に対してなした旧松巖寺住職の罷免は適法かつ有効なものである。そして、旧松巖寺の主管者かつ代表者は、同寺の住職たることを要件としていたから、松山は右罷免により旧松巖寺の代表者たる地位も失つた。したがつて、同人を旧松巖寺の代表者と認めてなした本件訴願裁決は違法である。
(4) 、被告は、曹洞宗が松山に対しなした罷免行為は曹洞宗と旧松巖寺との間の被包括関係の廃止を防止することを目的としたものであるから無効であると主張するが、右罷免行為はそのようなことを目的としてなされたものではない。新法第七八条は、被包括関係の廃止を防ぐことを目的として、又はこれを企てたことを理由として、罷免処分等をしてはならない旨、これに違反してした行為は無効とする旨規定しているが、罷免が直接かかる目的を有せずかえつて他に罷免の実質的理由が存する本件のような場合に、たまたま罷免当時被罷免者が被包括関係の廃止を企てていた事実があつたとしても、それだけで罷免処分が無効となるものでないことは明らかである。のみならず、そもそも新法第七八条は、新法により設立された宗教法人又は同法附則第六項第七項によつて既に新宗教法人となつたものに対してのみ適用があり、同法附則第三項によつて存続しているにすぎない旧宗教法人に対しては適用がないものと解すべきである。けだしこのような解釈は、旧令には新法第七八条に相当する規定がなかつたこと及び経過時期における宗教法人は旧令の規定による宗教法人であつて新法の規定によるそれではないとされていることからして当然である。新法附則では、旧宗教法人について、新法施行後も旧令の規定を適用する(附則第四項)ことを原則としながら、被包括関係の廃止に関しては、所属宗派の主管者の承認(旧令第六条)を要せず、被包括宗教法人の規則中に包括宗教団体が一定の権限を有する旨の定めがある場合でもそれに従うことを要しないものとした(附則第一四項)が、このことから直ちに新法第七八条が旧宗教法人にも適用があるということにはならない。かえつて、右附則第一四項のような例外規定はその明文がある場合に始めて旧宗教法人に適用があると解すべきで、新法第七八条についてはそのような明文の規定がないから、これを旧宗教法人にも適用あるものと解することは許されない。したがつて新法第七八条を根拠にして松山に対する罷免が無効であるとする被告の主張は失当である。
参加人は、住職任免規程第一一条は所轄文部大臣の認証を得ていないから新法第一二条に違反して無効であると主張するが、本件罷免処分は旧松巖寺住職たる松山の罷免であつて、新法により設立された新松岩寺の住職たる地位の罷免ではないから、新法に違反するという主張自体失当である。また、住職任免規程第一一条は寺院住職の罷免に関する規則であるところ、住職は曹洞宗宗憲第二六条ないし第二八条に基いて曹洞宗の教師の資格を有するものが曹洞宗の被包括関係にある各寺院におかれ、所属の檀信徒を教化育成し徒弟を養成し宗費を納付すべき義務を課せられるとともに、曹洞宗規則第六〇条において「寺院の代表役員は宗憲により当該寺院の住職の職にある者をもつて充てる」と定めているのである。したがつて、曹洞宗と被包括関係にある寺院において代表役員は住職でなければならず、住職を罷免されるときは代表役員たる資格を失うことは右曹洞宗規則第六〇条に基くものであるが、住職任免規程第一一条は住職たる地位の罷免であること前記のとおりであつて、直接には代表役員の罷免ではないから、新法第一二条第一項第一二号にいう「代表役員の任免につき他の宗教団体を制約する事項」には該当しない。更に、旧松巖寺はかかる曹洞宗宗憲、規則、規程のもとに曹洞宗の被包括宗教法人として存続していたもので、しかも旧松巖寺規則には曹洞宗管長において住職の任免権を有することを予定している規定(同規則第一一条)をおいているにおいては、曹洞宗管長に旧松巖寺住職を罷免する権限なしと主張することは許されないものといわなければならない。
(二)、旧松巖寺が新松岩寺設立にあたつてとつた手続は、次の二点において瑕疵があり違法であるから、これを違法としてした本件裁決は違法である。
(1) 、規則作成についての総代の同意を得ていない。
新法附則第一一項は、旧宗教法人が新宗教法人となろうとする場合には、新宗教法人となろうとする旨の決定及び当該新宗教法人に係る規則に関する決定は当該旧宗教法人における規則の変更に関する手続に従つてすべき旨を定め、そして旧松巖寺の規則第四七条は「本寺院規則を変更せんとするときは住職において法類総代及び総代の同意を得、管長の承認を経て地方長官の認可を受くるものとす」と規定している。しかるに旧松巖寺住職松山岩王は、曹洞宗との被包括関係廃止を内容とする新松岩寺の規則を作成することについても、また規則の内容についても、認証申請をした昭和二七年当時の総代であつた阿部新三郎、及川養治郎の同意を得ていない。
被告は、川原田生、高橋熊治等が檀徒総代であつたと主張するが、川原田はその住所を永く東京都においていること等からみて同人が総代に選任されるということはとうてい考えられないし、高橋についても同人は松巖寺の職人であつて総代に選ばれるほど石巻市における人望を有しない者である。
(2) 、規則の案の要旨を公告せず、また曹洞宗に対する被包括関係廃止の通知をしていない。
旧宗教法人が、新宗教法人になることに伴い包括宗教団体との被包括関係を廃止しようとする場合には、新法附則第一四条第三号、同法第一二条第三項に定めるところにより、新宗教法人に係る規則の認証申請の少なくとも一月前に、信者その他の利害関係人に対し、規則の案の要旨を示して宗教法人を設立しようとする旨を当該宗教法人の事務所の掲示場に掲示する等周知させるに適当な方法で公告し、同時に包括宗教団体に対し当該被包括関係を廃止しようとする旨を通知しなければならないこととされている。しかるに松山岩王は、昭和二七年一〇月二日新松岩寺の規則の認証申請をするにあたり、これら公告、通知の手続をいずれもしなかつた。
檀徒総代その他の有力檀徒が、昭和二九年三月末頃原告において宮城県知事の手元で調査するまで、松山岩王が新法による規則の認証申請をしていたことを知らず、かえつて松山がその手続を怠つているため旧松巖寺は廃寺になつてしまうということを考え、虞れていたものであることは、前述のとおりであるから、この事実からみても、松山が、被告主張のように昭和二七年八月当時新松岩寺の規則を檀徒に衆知せしめるための公告をしていなかつたことは明らかである。もし右主張のように公告をしていたとすれば、石巻市の如き東北の一旧都市の有力檀徒が昭和二九年三月頃までこれを問題にしないでいたということはありえず、松山とこれら檀徒との間の紛争はもつと以前に発発していた筈である。さらに、松山が規則認証申請をするにあたつては申請書のみを提出し、規則の外、公告をしたことを証する書類等の必要添付書類は県当局よりの再三の催促にもかかわらず、認証決定の最終期限(認証申請の最終期限ではない。)に至るまでこれを提出しなかつたことは、前述のとおりであるが、もしも松山が認証申請前に適法な手続をとつていたのであれば、かかることはありえない筈である。
さらに曹洞宗に対する被包括関係廃止の通知についても、被告は、認証申請の一月以上前である昭和二七年八月一五日普通郵便(葉書)をもつてこれをなしたと主張し、松山は右主張に副うような内容の「離脱通告に関する証明」と題する書面を作成これを認証申請書に添付するため提出しているが、かかる証明文書をわざわざ作成する必要を知つているのなら、右通知も内容証明郵便か少なくとも書留郵便をもつてなすべき筈であつて、単なる葉書でなしたというようなことは考えられない。昭和二九年三月檀徒代表が松山不信任の上申書を提出した当時曹洞宗宗務庁では、松山が単立松岩等の規則認証申請手続をしていることを知らず、たゞ規則認証申請の手続を怠つているものと考え、不信任の原因事実の調査のため原告を現地に派遣したのであつて、このことからも松山が曹洞宗に対して離脱の通知をしていなかつたことが明らかである。被告は、松山が昭和二六年六月頃から昭和二九年四月頃に至るまで数回にわたり曹洞宗に対し被包括関係廃止の通知をしている旨主張するが、そのような事実はない。また、曹洞宗が、旧松巖寺の規則認証申請当時新松岩寺が同宗から離脱することを知りうべき状況にあつたという事実はなく、かりにそのような状況にあつたとしても、それだけで離脱の通知に代えることは許されない。
以上要するに、松山は、曹洞宗との被包括関係の廃止を欲しない檀徒大多数の信仰を無視して、全く秘密裡に、独断で、単立新松岩寺の規則認証申請をなしたものである。
(三)、被告は、規則の認証に関する所轄庁の審査は形式審査で足るべきものであるから、必要な書類の一応整つている本件について、規則を認証すべきものとした被告の本件裁決は違法といえないと主張するが、形式審査といつても、規則認証申請書に添付すべき書類は各法定要件たる手続を適法になしたことの証明書類であるから、単に形式的に添付書類が整つているというだけでは足りないのであつて、所轄庁において、かかる法定手続がなされたことを確認しうるのでなければ、形式に不備あるものとして申請を却下しなければならないのである。かりに形式上添付書類が整つているということで規則を認証した場合にも、その行政処分は一応有効というにすぎず、もし法定の手続が真実はなされていないならば、その行政処分は結局違法であつて、このようにいうことは、形式的審査主義と矛盾するものでない。
三、以上のとおり本件裁決は違法であるから、原告は本訴においてその取消を求める。
四、被告は、松山岩王の罷免は無効であるから原告の後任住職への任命も無効であり、原告は本件裁決の取消を訴求する法律上の利益を欠くと主張するが、このような主張は論理の順逆を誤つたものというべきである。又参加人の主張するように、本訴請求が認容されれば旧松巖寺が復活し新宗教法人設立の手続をとらねばならないことになるということは当然であるが、その故に直ちに、経過にはなんら実益がないとはいえない。すなわち、本件裁決が取消されれば、松山を主管者とする新松岩寺の登記は抹消され原告を主管者とする旧松巖寺の登記が回復されるから、ここにおいて旧松巖寺の主管者として原告は、檀徒等と協力して松巖寺を再建しようと念願しているのであつて、その為にこそ本訴を提起した次第である。
第二、被告の申立及び主張
被告代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁及び被告の主張として次のとおり述べた。
一、請求原因第一項の事実は認める。同第二項のうち、旧松巖寺が申立てた本件訴願は松山岩王が同寺の代表者名義で申立てたもので、被告はこれを受理し、松山を同寺の代表者と認めて同人宛本件裁決をしたものであること、松山岩王が昭和四年曹洞宗から旧松巖寺の住職に任命され、以後引続き同寺の住職としてその代表者たる地位にあつたこと、昭和二九年四月頃曹洞宗が松山に対し旧松巖寺住職を罷免する旨の意思表示をしたこと、その頃曹洞宗が旧松巖寺住職として原告を任命する旨意思表示をし、原告を同寺の主管者として登記したこと、旧松巖寺規則か、規則の変更手続につき原告主張のように規定していることはいずれも認めるが、昭和二七年当時の旧松巖寺の総代が阿部新三郎、及川養治郎であつたこと旧松巖寺住職松山が総代の同意を得ないで新松岩寺の規則を作成したこと、新松岩寺規則の認証申請前、公告及び曹洞宗に対する被包括関係廃止の通知をしなかつたこと、はいずれも否認し、その余の事実は争う。
二、本件裁決には原告主張のような違法はない。
(一)、曹洞宗が松山に対しなした住職罷免の意思表示は、次に述べる理由によつて無効であるから、松山は新松岩寺の成立に至るまで依然として旧松巖寺の住職としてその代表者であつたものというべく、したがつて被告において、同人が旧松巖寺の代表者として提起した訴願を受理し、これに基き同人を同寺の代表者として本件裁決をしたことは、なんら違法でない。
(1) 罷免の要件の欠缺
曹洞宗が松山を罷免した根拠として原告が主張する住職任免規程第一一条は、住職が檀信徒の大多数から不信任の表示をうけたことを要件としており、ここに檀信徒の大多数とは少くとも過半数以上をいうものと解されるが松山が檀信徒の過半数以上の者からは不信任の表示をうけた事実はない。すなわち、原告は昭和二九年四月七日の檀徒総会で二六六名が松山を住職から追放することを決議した旨主張するが、右集会に参加した者は僅か六、七〇名程度に過ぎず、しかも松山不信任の意思を表示した者の中には一部の檀徒に指嗾されて心ならずも不信任に賛成した者も多数あるばかりか、檀信徒でない者さえ一二、三名も含められている状況であり、委任状についても、かりにその数が原告主張のように一四九通であつたとしても、一般の檀信徒としては住職の適不適にさして関心をもたないのが通常であるのみならず、右委任状が如何なる趣旨で集められたものであるかも明らかでないから、委任状提出者の悉くが真に松山不信任の意向をもつていたと考えることには多分の疑問がある。また、原告は檀徒二一五名が連署して松山不信任の意思を表示したと主張するが、その裏付けとなるものとして書証に提出した「松巖寺現住職不信任上申同意者芳名簿」(甲第六ないし第八号証)の署名者中には旧松巖寺の檀信徒でない者もあるほか、阿部松治の刑事々件に対する嘆願のためとして署名した者もかなり多数を占め、さらに、松山を信任する旨の署名を得て作成された宮城県知事に対する「新松岩寺認証確認書下附申請書」(丙第一一号証)にも名を列ねている者があるから、右不信任署名者の中には真意に基かずして署名した者が相当数に上ることが推知されるのである。そして、昭和二九年当時の松巖寺の檀信徒数は戸数にして約一、〇〇〇戸に及ぶのであるから、かりに右不信任決議に加わつた者、不信任上申同意書に署名した者が原告主張のとおりであるとしても、なお松山不信任者は、檀信徒総数に比較し極めて僅かな割合を示すに過ぎず、とうてい過半数に達しない。なお、原告が当時の檀徒数として主張する三〇〇戸という数を前提としても、檀信徒が一戸当り一人であるということはありえないから、不信任者数二六六名は、なお檀信徒数の過半数に達しないものと推測される。これを要するに、旧松巖寺の檀信徒は、昭和二九年当時においても、現在においても、殆んど松山を信任しているのであつて、表面的には松山に対し不信任の態度を示す者がないではないが、これも実は原告永井を支持する一部の有力者に指嗾され、或はそれら有力者の社会的、経済的圧力の下に心ならずそうした態度をとつているに過ぎないのであるから、松山が檀信徒大多数から不信任の表示をうけるようなことはとうていなかつたのである。
(2) 、罷免の理由自体からくる無効
旧宗教法人が新法附則の規定に従い新宗教法人となる際包括宗教団体との被包括関係を廃止することを防ぐことを目的とし、または、これを企てたことを理由として、その法人の代表者を罷免した場合の罷免行為の効力に関し、新法附則はなんら規定していないが、このような罷免行為は新法第七八条の類推適用により、或いは公序良俗違反として、無効と解すべきである。すなわち、新法附則は、旧宗教法人について、被包括関係の廃止に関し所属宗派の主管者の承認を要せず、さらに、被包括宗教法人の規則中に包括宗教団体が被包括関係の廃止に関し一定の権限を有する旨の定めがある場合でも、それに従うことを要しないことを定めた(第一四項第一、二号)が、このように被包括関係の廃止を被包括宗教法人の自主的決定に委ね、包括宗教団体の干渉を排除したのは、それによつて信教の自由を保全しようとしたものに外ならない(なお、旧令第六条後段の規定は、寺院規則の変更には所属宗派の主管者の承認を要する旨を定めているが、この規定の解釈としても、規則の変更が被包括関係の廃止を伴う場合は、信教の自由を確保する見地から、所属宗派の主管者の承認はこれを要しないと解すべきものであるから、新法附則第一四項第一号は、右の解釈を明文上に明らかにした意義を有する)。しからばこの立法趣旨から被包括関係を廃止することの自由を阻害する行為の効力を否定すべきことは当然のことである。そして新法では、新法附則におけると同様、被包括関係の廃止を被包括宗教法人の自主的決定に委ね(同法第二六条第一項)、一方、包括宗教団体に対しては、被包括関係の廃止を防ぐことを目的とし、或いは企てたことを理由として、被包括宗教法人の役員等を解任する等の不利益処分をすることを禁じ、これに違反する行為を無効としている(同法第七八条第一、二項)。これらの規定の目的とするところが、新法附則と同じく信教の自由の確保にあることはもちろんである。ところで、新法附則は、新法第七八条第一、二項に相当する規定がなく、また同条を準用する規定もない。しかし、新法附則が被包括関係の廃止を被包括宗教法人の自主的決定に委ねた立法趣旨が新法本則の規定におけると異ならない以上、被包括関係の廃止を防ぐことを目的とし、或いは企てたことを理由とする不利益処分を無効とし、被包括関係の廃止を自由とした規定の実効性を担保する必要のあることは、両者全く同様であつて、その間なんら異別に取扱うべき実質的理由はない。しからば、新法第七八条第一、二項の規定は、旧宗教法人が新法附則の規定によつて新宗教法人となる場合にも類推適用されるべきである。
ところで、曹洞宗は、松山岩王を罷免した理由として、同人が松巖寺の財産に関し檀徒との間に紛議を起した等の外に多数の檀徒から不信任を表明されたことを表面上の理由として挙げているが、それは単なる口実に過ぎず、真実は、松山が曹洞宗と松巖寺との被包括関係の廃止を企てたことを理由としたものである。このことは、罷免の時期が、旧松巖寺代表者松山岩王によつて曹洞宗との被包括関係を廃止するための手続が進められた後で、殊に、その被包括関係廃止を内容とする規則が現実に所轄庁たる宮城県知事に提出された日である昭和二九年三月三〇日の直後であるという一事によつても十分推知できるが、罷免の真の理由が被告主張のとおりであることを直接明確に証明するものとしては、次のような事実がある。すなわち、旧松巖寺の総代川原田生が、昭和二九年四月二一日、松巖寺が曹洞宗から離脱することについて了解を求めるため曹洞宗宗務庁を訪れ、宗務総長等と面談した際、庶務部長は、川原田を見て「これは敵側だな」という意味のことを述べ、また宗務総長は、「松巖寺が離脱するなら首を切る」と述べているのであつて、この事実は、松山岩王罷免の真の理由が何であるかを雄弁に物語るものである。ところで原告は、右同日付で松山罷免の意思表示がなされた旨主張し、甲第二号証の一には同日付で罷免の決裁がなされた旨の記載があるが、川原田が同日宗務総長等と面談した際、宗務総長は川原田に対し、「松山罷免の問題については、明後日(二三日のこと)地元の者を呼ぶようになつているから、是非あなた方や松山岩王も出て話合つてもらいたい」という趣旨のことを述べており、一方松山に対しては、宗務庁庶務部長から「不信任の件にて同月二三日宗務庁に出頭せよ」と電報をもつて出頭方を要請していること及び罷免の辞令が松山に到達したのは同月二六日であることに照せば、宗務庁部内において松山罷免の決裁がなされたのは、少くとも同月二三日以降であつて、甲第二号証の一の日付は、後に遡つて付せられたものとみる外ない。さらに、宗務庁庶務部長であつた本多喜禅は、松山の姉北村ときわに対し「松巖寺が包括寺院になりさえすれば、罷免は取消されるのだから、そのように働きかけてもらいたい」旨述べているが、この事実も、松山罷免の真の理由が前述のとおりであることを十分裏付けるものである。
右のような次第で、松山岩王に対する罷免は無効であるから、これが有効なることを前提として曹洞宗によりなされた原告に対する旧松巖寺後任住職の任命行為もまた無効であり、したがつて原告は旧松巖寺の代表者たる資格を取得しなかつたものといわねばならない。しからば原告は、本件裁決によつて権利利益を害される立場になく、したがつて同人は、本件裁決の取消を訴求する法律上の利益を欠くものといわねばならない。
(二) 新松岩寺の設立手続の瑕疵はない。
(1) 規則作成についての総代の同意について。
旧松巖寺代表者松山岩王は、曹洞宗との被包括関係廃止を内容とする新松岩寺の規則を作成することについてはもとより、規則の内容についても全総代の同意を得ている。すなわち、旧松巖寺の総代は、新法施行当時は及川養三郎のみで後に昭和二六年八月頃住職松山岩王の選任により川原田生、高橋熊治の両名が総代に就任したが、昭和二七年一月頃及川養三郎が死亡したためそれ以後の総代は右川原田、高橋の二名のみとなつていた。原告の主張する及川養三郎、阿部新三郎等は総代に選任されたことはない。ところで松山岩王は、施餓鬼等の諸行事の際を利用して、松巖寺を曹洞宗から離脱させることについての檀信徒の意向を尋ねているが、その主たるものは次のとおりである。(イ)、昭和二六年一一月三日の集会。旧松巖寺では、右同日施餓鬼の後、総代及川養三郎、同高橋熊治及び川原田生の代理人川原田利雄の外世話人等二〇名位が参集し、関与者役員会を開いたが、その席上松山岩王が新松岩寺設立に当つて曹洞宗から離脱したい旨述べ参集者の意見を求めたところ、参集者は悉く賛成した。(ロ)、昭和二七年三月二一日の集会。右同日には右(イ)の集会の決議に従つて選出された委員である川原田生等の委員の外、総代高橋熊治等が参集して委員会を開き、全員一致の意見により曹洞宗との被包括関係廃止を内容とする新松岩寺の規則を作成する等新松岩寺の設立手続を進めることを決議した。新松岩寺規則の骨子は、曹洞宗との被包括関係廃止を前提とした定めをすることにあり、その骨子について総代を始めとする檀信徒の同意を得ていることは右のとおりであるが、松山は、規則の内容の中、右以外の部分についても、総代川原田生、同高橋熊治等と協議の上作成し、もとよりこれらの総代の同意を得ているのである。
(2) 公告及び曹洞宗に対する被包括関係廃止の通知についてこれらの手続は後述のとおりすべて実際上履践されたのであるが、いまこれをしばらく措き、処分行政庁の審査事項との関連で本件裁決の適法性を考えてみるに、まず、旧松巖寺が新法附則第一五項所定の期間内である昭和二七年一〇月二日所轄庁である宮城県知事に対し、新松岩寺の規則の認証申請をしたことは、原告も争わないところであるが、かかる規則認証申請があつた場合、所轄庁としては、その申請が規則認証の要件を具備しているか否か実質的に審査する義務を負うものではなく、単に規則及び添付書類を調査することにより申請の要件を充しているか否かを判断して認証又は不認証の決定をすれば足りるものと解し得る余地がある。所轄庁の審査義務の範囲を右のように解すると、旧松巖寺のした右規則認証申請においては、申請書に新法第一三条各号所定の書類が添付されており、これによると、新松岩寺が宗教団体であること、その規則が新法その他の法令の規定に適合していることはもとより右認証申請の一ケ月以上前である昭和二七年八月一五日から少くとも一〇日間信者その他の利害関係人に対し、新松岩寺を設立しようとする旨及び規則案の要旨を同寺寺務所の掲示板に公告したことが認められるし、又かりに規則認証の要件として、以上の事実の外、旧松巖寺が新荘附則第一四項三号の規定による通知をしていることが添付書類によつて証明されることを要するとしても、その点も添付書類によつて認められるから、新法第一四条の規定により当然認証されるべきであつたということができる。果してそうだとすると、宮城県知事が当初行つた規則不認証の決定を支持した再審査決定を不服として提起された本件訴願を容認した本件裁決は、既にその点において適法であるというべきである。更に進んで考えてみるに、旧松巖寺は、再審査請求に対し「離脱通知を普通郵便で行なつたとしているが、新法附則第一四項三号に基く被包括関係廃止の手続として適法になされているかどうか確認することができない」との理由により規則不認証の決定をうけ、右不認証理由の全部に異議があるとして所定の期間内に適式に訴願を提起しているが、このような場合訴願庁として如何なる裁決をすべきかについては、新法第一七条第二項は、異議申立事項の全部について理由があると認めたときは訴願を容認する旨の裁決を、異議申立事項の全部または一部について理由がないと認めたときは訴願を棄却する旨の裁決を、それぞれ行うべきことを定めているから、訴願庁が訴願裁決に当つて審査すべき事項は、異議申立事項が理由ありと認められるか否かの点のみであると解することもできよう。これを本件についていえば、被告としては、訴願裁決にあたり、旧松巖寺が新法附則第一四項三号に基く被包括関係廃止の通知をしているか否かを審査し、その事実が認められるときは訴願を容認すべきことになる。ところで、旧松巖寺が右の通知をしたことは、規則認証申請書の添付書類によつて一応認められるばかりか、実際上も後述のとおり、右通知をしているから、旧松巖寺のした前記訴願を容認した本件裁決は、この点からいつてもなんら違法でないというべきである。
公告について。
公告については、先ず、旧松巖寺の事務所である本堂内に昭和二七年八月一二、三日頃から少くとも一ケ月位新松岩寺を設立しようとする旨墨筆した畳一枚よりやや小さ目の紙及び新松岩寺の規則案全文を掲示することによつて公告した外、檀信徒に対し松巖寺が曹洞宗から離脱して新宗教法人になろうとする旨を周知徹底させるために、本堂における公告と同時期から、同寺の入口の岩塀とか、附近の吹上墓地入口にある菊地自転車店店頭等にも、旧松巖寺が曹洞宗から離脱して新宗教法人になろうとする旨及び規則案全文を本堂に掲示してある旨記載した紙を掲示公告したから、旧宗教法人が新宗教法人になるにあたつて所定の公告を行うべき旨の要請は完全に充たされている。
曹洞宗に対する被包括関係廃止の通知について。
旧松巖寺は、以下(イ)ないし(ホ)のとおり適法に曹洞宗に対し被包括関係を廃止する旨を通知している。すなわち、(イ)、旧松巖寺は昭和二七年三月二三日開催の前記委員会において同年八月一五日曹洞宗に対し離脱通知をすることを決し、それに基いて、同年八月一五日代表者松山岩王名をもつて曹洞宗宗務庁に宛て、同宗との被包括関係を廃止する旨記載した郵便葉書を発送して通知した。更に、新法附則第一四項三号は被包括関係廃止の通知を同法第一二条第三項の規定による公告と同時にすべき旨規定しているが、この規定は所属寺院及び住職を統括する立場にある包括宗教団体に対し、旧宗教法人が新宗教法人となつた暁においては被包括関係が解かれ包括宗教団体としての権限が失われることになる旨を予知させる趣旨に出たものであるし、又元来同附則は、旧宗教法人ができる限り同一性を失わないで新宗教法人なることができるようにする趣旨で設けられたものであるから、右の通知をすべき時期についても、規定の文言どおり厳格に解する必要はなく、規則認証申請の拒否に関する行政庁としても最終処分までに、すなわち本件でいえば文部大臣の本件裁決までに行われれば足るものと解すべきであり、かりに然らずとしても、少くとも規則認証申請に対して第一次的に拒否を決すべき行政庁、本件でいえば宮城県知事が申請の拒否を決する時期までに右通知が行われておれば違法でないと解するのが相当であるところ、旧松巖寺代表者松山岩王は、右(イ)の通知の外、昭和二六年六月頃から昭和二九年四月頃に至るまで数回にわたり、曹洞宗に対し同宗との被包括関係を廃止する旨を通知している。主なものを挙げれば次のとおりである。(ロ)、昭和二六年六月には、宗務庁に対し被包括関係を廃止する意向である旨郵便で通知した。(ハ)、昭和二七年九月二八日世界仏教会議に出席の際、築地本願寺から電話で当時の宗務庁庶務部長本多喜禅に対し、曹洞宗から離脱する旨述べた。(ニ)、昭和二七年一一月一日には、曹洞宗管長高階滝仙に対し口頭で、曹洞宗から離脱する旨述べた。(ホ)、昭和二九年四月には、一日、一五日、二〇日と三回にわたり、曹洞宗から離脱することを内容証明郵便で通知した外、九日頃には宗務総長に対し直接口頭で同旨の通知をした。
新法附則第一四項三号は前述した趣旨に出た規定であるから被包括関係廃止の通知をすべき時期についても規定の文言どおり厳格に解する必要がないことは右のとおりであるが、更に進んでは、旧宗教法人が新宗教法人となる際被包括関係を廃止する意図を有していることを包括宗教団体において知つている場合には、右同号の設けられた目的は達せられていることになるから、その場合には、たとえ形式上同号所定の通知がなくとも、そのことは規則認証を内容とする処分の取消事由にはならないと解すすべきである。ところで旧松巖寺代表松山岩王は前記(イ)ないし(ホ)のとおり離脱通知をしている外、昭和二七年八月一五日以前にも曹洞宗の宗務局長及び教務部長に対し離脱の意思のあることを述べているし、又、包括寺院となる場合には管長の承認をうけるための申請書を提出するよう曹洞宗から通知をうけながら、かかる申請書を提出せずに規則認証申請をしているから、曹洞宗としては、宮城県知事が当初規則不認証の決定をした当時はもとより、昭和二七年八月一五日当時においても、旧松巖寺が新宗教法人となる際被包括関係を廃止する意図を有していることを十分知つていたものとみるべきである。
従つて、本件においては、被包括関係廃止の通知をすべきことを定めた新法附則第一四項三号の規定の要請は充たされているものということができる。
第三、被告補助参加人の主張
参加代理人は次のとおり述べた。
一、曹洞宗がなした松山岩王に対する旧松巖寺住職罷免の意思表示は無効である。
(1) 右罷免に至るまでの実情及び罷免の真因は次のとおりである。
松山岩王は旧松巖寺住職として、かねてより曹洞宗宗務庁の教育財政行政面について、とくに宗費の使途について不正があることを指摘し宗務局に対し釈明を求めてきたが、満足しうる回答を得られなかつたところより、新法施行により曹洞宗に対する隷従から脱して自主的宗教活動に入る好機が到来したものと考え、檀信徒一同と協議のうえ、適法な手続をすべて履践して単立新松岩寺の規則の認証申請をしたのである。ところで、石巻市には、松巖寺と同宗の永巖寺なる寺があり、その寺の住持と松山とは思想的、宗教活動に協調しがたいものがあつた。すなわち松山が詩藻に生きる学僧ともいうべき性格であるのに対し、片やいわゆる政僧ともいうべき性行の僧であつたから、相互に相容れず内心的に反目し来つたのはかくせない事実であつた。この政僧が、松山に反感を持つ阿部松治を使嗾として反対行動を辿らしめる政略行為に出たのである。松山が昭和二七年九月二八日東京築地本願寺で催された世界仏教会議に出席した際、その頃曹洞宗宗務庁庶務部長として在任していた右永巌寺住持に対し、電話で曹洞宗から離脱する意思に変りはないことを告知してから後は、一層深刻な策動を開始し、まず、永巖寺に松巖寺の一部檀徒を呼びよせて協議策謀を企画し、昭和二八年六月、阿部松治をして、松山が寺有財産を横領している旨の告訴をなさしめた。しかし右寺有財産はもと檀家二〇数名の共有地として登記されていたために、隣地所有者に又は共有名義者の一部等に寺有地に侵入されたりして、管理上不都合であつたので、当時の総代等と協議のうえ代表者住持である松山岩王の個人名義としたものであるが、これは所轄県知事にも又曹洞宗にも松巖寺の寺有財産として申告してあるのである。しからば松山個人名義になつているからといつて、とうてい恣な処分は出来ないわけであり、又事実松山として私利を図るような意図は全くなかつたのである。かくして松山に横領の事実のないことが明らかとなり、松山が不起訴処分になるや、更に手段をかえて、これら一部の者は、松山排斥署名簿の作成、同檀徒大会の開催、そして松山の罷免へと運動を展開してきたのであるが、この不純な行動に参劃支援し走狗的役割を果した者達は、いずれも寺有地を侵害しそのため住職松山と紛議をかもすなど、松山に対する私怨をはらすためそのような行動に出たのである。又、本件の発生的遠因としては、多数の檀信徒と婦人部の念仏請負等の支持によつて昭和二二年石巻市議として市政に参与することとなつた松山の政治的進出を阻まんとする企図をこれら市政に有力な発言権をもつ者達が有したことも見逃せない。かくて規則認証の直前である昭和二九年四月初めに至つて周章狼狽し、単立寺院設立行為を妨害するため、県当局に政治的圧力を加えて規則を不認証に導く一方、一般檀信徒に無用の混乱動揺を与えて檀徒大会なる集会を開き、これに基いて原告を罷免するに至つたものである。
これを要するに、松山に対する不信任決議及び罷免に至る一連の経過は、旧松巖寺の一部不逞分子とそれを使嗾した曹洞宗務庁の不当な策謀によるもので、もとより松山には住職を罷免される客観的な理由はなく、本件罷免は被包括関係の廃止を防ぐことを実質上目的とするものに外ならないものである。
(2) 新法第一二条第一項第五号及び第一二号の本寺と末寺との制約関係を定めることについては、文部大臣からその規則の認証を受けねばならないのであつて、これに準拠しないいわゆる細則規定で制約することは許されないと解する。ところで、宗教法人曹洞宗に、新法に則つて昭和二七年三月三日に設立された法人であるが、交部大臣の認証を得た規則には右制約規則がない。いわゆる住職任免規程なるものは、曹洞宗が新法によつて設立される以前の昭和二七年二月八日発布されてあつてその施行を同年三月三日からとしてあるが、前記理由で制約法としては適法のものとはいえない。従つて本件罷免行為は法に基かない違法なもので当然無効である。曹洞宗は、旧松巖寺の後任住職として原告を任命したが、これは、旧松巖寺規則に定める後任住職選任の順位を無視し、かつ諮問機関に諮らずして恣になされたものであるから、これまた無効である。
二、新松岩寺規則は、本件裁決に基き昭和三〇年一〇月一一日宮城県知事によつて認証され、同月一四日単立寺院としての新松岩寺の設立登記がなされたのであるから、その結果旧松巖寺は右同日解散しその権利義務は新松岩寺が承継したわけである。しかも旧松巖寺は、認証申請の期限たる昭和二七年一〇月二日迄に被包括寺院としての規則の認証申請はこれをしていない。してみれば、仮に本訴で本件裁決が取消されたとすれば、旧松巖寺が回復して解散法人となるとともにその後において新宗教法人設立の手続をとらねばならない筋合となり、その経過には単立派と被包括派との無益な争を挑発する以外になんの実益もないと考えられるのである。
第四、立証<省略>
理由
一、原告の請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。
二、原告は、本決裁決の違法事由として松山岩王が本件訴願申立に先立ち曹洞宗により旧松巖寺住職を罷免され原告において後任住職に任命されたから松山は本件訴願を申立てる資格なく本件裁決はこれをうける資格のない者に宛ててなされた点で違法である旨主張するところ、被告は、松山に対する罷免は無効でしたがつてこれが有効なることを前提とする原告に対する後任住職の任命もまた無効であるから原告は旧松巖寺の代表者たる資格を取得するに由なく果してそうだとすれば原告は本件裁決によつて権利利益を害される立場にないといわねばならないから、本件裁決の取消を訴求する法律上の利益を欠く旨主張するけれども、右についての判断は結局本案の判断と同一の問題に帰着することとなるので、このような場合には、いたずらに訴の利益の有無又は当事者適格の問題にこだわることなく、進んで本案の問題として考えるべきものである。又、参加人は、本件裁決によつて新松岩寺規則が認証され旧松巖寺は解散したのであるから仮に本訴で本件裁決が取消されたとすれば旧松巖寺が回復して解散法人となるとともにその後において新宗教法人としての設立手続をとらねばならない筋合である旨主張するところ、本件裁決にして取消されしかも旧松巖寺より別個の規則認証申請もなされていないとされる限り、旧松巖寺が新法附則第一七項によつて解散したものとされ清算手続に入るべきものであることは参加人主張のとおりであるけれども、この場合、旧松巖寺の実体を承継したと認められる清算法人松巖寺が存在するのに対し、他方旧松巖寺の正統な後身なりと称する新松岩寺が少なくとも外形上存在する以上、右清算手続を進めるうえにおいて、新松岩寺の存立の基礎をなす本件裁決を争う利益はあるものと考えなければならない。
三、そこで本件裁決が違法であるか否かについて考えてみる。
(一) 原告は、本件新松岩寺規則は旧松巖寺の総代の同意なくして制定されたもので違法なものであるから、これを認証すべきものとした本件裁決は違法である旨主張するので、まずこの点から考えることにする。
新法附則第一一項によれば、旧宗教法人が新宗教法人となろうとする場合には、新宗教法人となろうとする旨の決定及び当該新宗教法人に係る規則に関する決定は当該旧宗教法人における規則の変更に関する手続に従つてすべきものとされているところ、旧松巖寺規則(成立に争ない乙第六号証)は、規則の変更手続に関し、「本寺院規則を変更せんとするときは住職に於て法類総代及び総代の同意を得管長の承認を経て地方長官の認可を受くるものとす」(第四七条)と規定し、総代に関しては、「本寺院に総代参名を置く総代は檀徒又は信徒にして相当の資産を有し衆望の帰すものに就き法類総代に諮り住職之を選任す」(第二四条)と規定している。
ところで被告は、旧松巖寺の総代は新法施行当時及川養三郎のみで、その後昭和二六年八月頃住職松山の選任により川原田生高橋熊治が総代に就任し、昭和二七年一月頃右及川が死亡したためそれ以後の総代は川原田、高橋の二名のみとなつていたこと、松山は、曹洞宗との被包括関係廃止を内容とする新松岩寺規則の作成について、昭和二六年一一月三日及び昭和二七年三月二一日に旧松巖寺関与者役員会を開催し、右総代を始めとする檀信徒の同意を得たこと、を主張するところ、当時の総代なりと被告の主張する右の者らが同席して被告主張の頃その主張のような趣旨で話合いがなされた事実は、原本の存在につき争なく証人桜井英清の証言によりその成立を認める乙第三号証の二、三、証人高橋善作の証言により成立を認める乙第八号証、証人桜井英清、高橋善作、川原田生の各証言によつてこれを認め得ないわけではないが、しかし右各会合当時ないし本件規則認証申請当時の旧松巖寺総代が果して被告主張のように及川養三郎(但し被告主張の頃死亡する迄の間)、川原田生、高橋熊治であつたかについては、この点に関する証人松山岩王(第一、第二回)、高橋善作、川原田生の各証言、乙第八号証及び丙第四六号証の二等は、成立に争ない丙第九号証、同第一〇号証の記載に徴すればにわかに採用しがたいものといわざるを得ず(右丙第九号証、同第一〇号証に対する松山の弁明(同八の第三回証言及び丙第四六号証の二)は首肯しがたい。)、他にこれを確認するに足る証拠はみあたらない。かえつて右丙第九号証、第一〇号証、成立に争ない甲第一五号証、原告本人尋問の結果(第二回)により成立を認める甲第一三号証、同第一四号証、証人松山岩王の証言(第一回)により成立を認める丙第二号証、証人及川養治郎、粕谷義雄、讃岐福三郎の各証言等によれば、昭和二七年当時の総代は及川養治郎、庄司又一郎、阿部新三郎であつて、少なくとも川原田生、高橋熊治は総代でなかつたことがうかがえるのであり、しかもこれら及川、庄司、阿部が前記会合における被告主張のような話合いの席に同席せずその他曹洞宗との被包括関係廃止を内容とする新松岩寺の規則作成について松山からの相談にあずかり、かつこれに同意を与えたような事実のなかつたことは、証人及川養治郎の証言及び弁論の全趣旨によつてこれを認めることができるのである。証人松山岩王(第一回)、丹野朗山、高橋善作の各証言及び成立に争のない乙第一〇号証の四の中、及川養治郎が前記会合に出席したうえ曹洞宗からの離脱に賛成し、もしくはそのことについて住職松山に一任したとの部分は、右及川養治郎の証言に照して措信できない。なお仮りに、被告主張のように、川原田生、高橋熊治が昭和二六年八月頃住職松山によつて総代に選任された事実があるものとして考えてみても、前記のとおり旧松巖寺の総代は檀徒又は信徒にして相当の資産を有し衆望の帰する者につき法類総代に諮つてこれを選任すべきものとされているところ、証人及川養治郎、川原田生、松山岩王(第二回)、丹野朗山、高橋善作の各証言及び弁論の全趣旨によれば、旧松巖寺は古くよりその所在地たる石巻市湊地区の菩提寺として護持されてきたものであるが、川原用生は昭和五年頃石巻を去つて東京方面に移り住んで以来(石巻へは休暇の折など縁者をたずねて稀に帰省する程度の関係しかなく、そのため石巻におけるごく一部の限られた檀徒らとの間に、しかも昭和二六、七年頃に至つてわずか数度の面識がもたれたにすぎない者であり、高橋熊治とともに、旧松巖寺檀信徒の衆望の帰する者とはいいがたい者であることが認められるから、同人らに対する総代の選任は、旧松巖寺規則第二四条の規定に違反して無効なものといわなければならないのである。してみれば、曹洞宗との被包括関係の廃止を内容とする本件新松岩寺規則は、総代の同意なくして制定されたものといわざるを得ないから、新法附則第一四項、旧松巖寺規則第四七条、旧令第六条前段の規定に反する無効なものといわなければならない。よつてこれを認証すべきものとした本件裁決は、既にこの点において違法なものというべきである。
(二) 原告は、本件裁決が訴願を申立てる資格のない者の申立にもとずき裁決をうける資格のない者に宛ててなされたものである点で違法である旨主張するので、進んでこの点について考えてみる。旧松巖寺が申立てた本件訴願は松山岩王が同寺の代表者名義で申立てたもので、被告はこれを受理し、松山を同寺の代表者と認めて同人宛本件裁決をしたものであること、松山は昭和四年曹洞宗から旧松巖寺の住職に任命され、以後引続き同寺の住職としてその代表者たる地位にあつたこと、本件訴願申立つ昭和二九年四月頃曹洞宗が松山に対し住職任免規程第一一条により旧松巖寺住職を罷免する旨の意思表示をしたこと、その頃曹洞宗が旧松巖寺住職として原告を任命する旨意思表示をし、原告を同寺の主管者として登記したこと、はいずれも当者事間に争いがない。
(1) 参加人は、住職任免規程なるものは本寺と末寺との制約関係を規定するものであるが、このような事項は本来新法第一二条第一項第五号、第一二号により、規則中に規定して文部大臣の認証をうけなければならぬ事柄であつて、住職任免規程のような細則規定で定めても制約法としての効力を有しない旨主張するが、宗教法人「曹洞宗」規則第六〇条が「寺院の代表役員は、宗憲により当該寺院の住職の職にある者をもつて充てる」旨規定していることは成立に争いない甲第一七号証により認められるから、曹洞宗が所属寺院の住職を罷免した場合には、当該寺院の代表役員としての適格性を喪失させることとなる結果、他の宗教団体たる所属寺院の代表役員の任免につき右寺院を制約する結果になるけれども、右の制約は、直接曹洞宗が所属寺院に対して有する任免権に基くものではなく、寺院の代表役員は当該寺院の住職の職にあるものをもつて充てるとする前記第六〇条の規定によるものであり、このことは、寺院の代表役員が必ずしも寺院住職たるを要しない(新法第一八条・第二二条)ことによつて明らかであるから、住職任免規程第一一条の規定が直ちに新法第一二条第一項第五号第一二号にいう代表役員の任免につき他の宗教団体を制約する事項に該当するとなすことはできない(のみならず、曹洞宗が前記制約事項を規定した宗教法人「曹洞宗」規則につき所轄文部大臣の認証をうけたものであることはもちろんである。)から、参加人の主張は失当である。
(2) そこで、曹洞宗が松山に対してなした旧松巖寺住職の罷免につき、住職任免規程第一一条所定の事由が存したかどうかについて考えてみる。
成立に争ない甲第九号証の一、二、同第二四号証、同第二五号証、同第三六号証ないし第三八号証、乙第九号証、丙第五、第六号証の各一、二、同第一五号証の一、二、原告本人尋問の結果(第一、第二回)により成立を認める甲第二号証の一、同第二七号証の二、七、八、同第三〇号証の一、二、証人及川惣之助の証言により成立を認める甲第二号証の二、証人丹野朗山の証言により成立を認める甲第二号証の三、証人及川養治郎の証言及び弁論の全趣旨を総合して成立を認める甲第五号証ないし第八号証、同第二〇号証、同第二二号証、証人粕谷義雄の証言により成立を認める甲第二一号証、証人松山岩王の証言(第一回)により成立を認める丙第二号証、証人富吉利男、及川養治郎、粕谷義雄、及川喜一、及川惣之助、讃岐福三郎、稲井三治、朽木正己、高橋篤、石塚正之助、阿部喜一、横山養治、川原田生、松山岩王(第一、二回)、原告本人尋問の結果(第一回)に弁論の全趣旨を総合すれば、松山岩王罷免に至る事実として大略次のように認めることができる。
旧松巖寺は前記のとおり古くよりその所在地たる石巻市湊地区の菩提寺として護持されてきたものであるが、松山岩王は住職として、かねてより曹洞宗の宗派行政に不明朗な点があるとし、新法施行を機会に、曹洞宗に対する精神的、経済的隷従から脱し自由な宗教活動に入ろうと考えた。ところで松山は、終戦前においても旧松巖寺々有墓地を独断で売却して檀徒らに咎められたようなことがあつたが、従来登記簿上檀徒の共有名義になつていた寺有墓地を全面的に松山個人名義に書替え、昭和二四年頃石巻市当局から指摘されてこのことを知つた檀徒に咎められ、その一部境外墓地に関しては登記名義上松巖寺代表者と肩書を加えたが、境内墓地に関してはそのままに打過したため、寺有地を横領したものとして昭和二八年六月頃檀徒の一人に告発された。この件は、有力檀徒及川養治郎が紛争の表面化するのを憂慮して仲に入り、松山に対しては同年九月一五日迄に登記名義を寺に返還することを誓約せしめたうえ、捜査当局に対し松山に横領の意思なきことを上申し、一応落着したが、松山は右誓約を履行せず、檀徒らは漸次松山に対する不信の念を抱くようになつた。かくするうち昭和二九年初め頃、同年三月一杯に県庁により新法附則による規則認証の決定がなされないと旧宗教法人は当然に解散になつてしまうという事情を聞き知つた檀徒らが騒ぎ出し、松山に右手続履践の有無をただしたが、松山は全く要領を得ない回答しか与えなかつたので、檀徒らは、松山の従来とつてきた態度(右墓地問題、その他従来松山が曹洞宗に批判的であつて、宗務庁において宗費の不正な使込みをしているからそのような宗務庁へ納めるのは檀徒のためにもならないとして宗費を納入せず手許に保留していたこと等)からして、松山が規則認証申請を故意に怠り松巖寺を廃寺にして寺有財産を横領しようと策しているものと判断し、四〇〇年の伝統をもつ松巖寺を廃寺の運命から救うためには松山を住職の地位から追放するほかないと考え、発起人及川養治郎らが檀信徒有志一同の名で同年三月頃松山不信任の署名を募つたところ、二百余名の不信任同意署名を得ることができたので、これをもとに同年三月二八日曹洞宗に対し、松山を罷免するよう上申書を提出した。ここにおいて、当時曹洞宗宗務庁庶務部主事であつた原告が命をうけて現地調査に赴き、その際原告は、松山と檀徒間の紛争は松山と話合うことにより平穏裡に解決しうる糸口も見出せるであろうが、規則認証決定の期限が一、二日の後に迫つているところから、法定解散をさけるためにとりあえず規則認証申請をしておかねばとの考えのもとに、申請書類を持参したのであるが、所轄宮城県庁で確かめたところ、松山からは昭和二七年一〇月二日付で規則認証申請書が提出されてあるものの、規則を初め必要な添付書類は度々の催促にかかわらずいまだに提出されないため、新松岩寺が単立か被包括か判らず、県当局としても取扱に困つているところであつた。しかしそれと前後して松山から県庁へ提出された新松岩寺規則は、曹洞宗からの離脱を内容とするものであつたので(ただし、県当局としては類書不備を理由にこれを却下する意向であることが原告に知らされた)、ここにおいて、秘かに単立松岩寺の設立に企図していた松山の意図を知つた檀徒らは、事の重大さに驚き、原告が檀徒らに諮り被包括寺院としての規則認証申請書を作成県庁へ持参し(ただしこれは、同一寺院から二個の申請はできないとの係員の言葉により、結局正式に提出受理されなかつた)、事情調査のため松山に面会を申入れたが話合を拒否された一方、同年四月七日前後策を講ずるため出席者約一一七名、白紙委任状による者約一四九名をもつて檀徒総会を開き、席上松山の釈明もされたが、法類総代であり曹洞宗教区長である北村魏堂から、単立寺院と包括寺院のそれぞれの性格について説明がなされた後、松巖寺の今後廃寺にするか、曹洞宗の包括寺院として再建するか、単立寺院として再建するかにつき採決したところ、出席者の満場一致で、松巖寺を解散の止むなきに至らしめた松山の責任を問い松山の追放を期すること及び松巖寺を包括寺院として再建することを決議するに至つた。曹洞宗としては、原告を通じ或いは松山の友人を通じ、松山に対し、檀徒との融和に努むべき旨、そのためには翻意として曹洞宗に復帰すべき旨説いたのであるが拒絶され、最後の機会として、同年四月二三日に檀徒らが上京して宗務庁に来ることになつているから松山も上京して檀徒らと話合つてもらいたい旨川原田生を通じて勧誘したが、松山がこれに応じなかつたので、調査の結果右のような事由をもつて住職任免規程第一一条に該当するものとし、同月二一日付をもつて松山を罷免し、同月二六日これを松山に通知し、なお、法類総代、檀徒らの要請にもとずき原告を同年五月一三日後任の住職に任命した。
以上のように認めることができる。被告は、松山不信任の署名及び決議に加わつた者の中には、檀徒でない者、一部のいわゆる有力檀徒に使嗾されて或いはそれら有力者の社会的経済的圧力の下に心ならず加わつた者、別の趣旨で署名した者等があり仮りにそうでないとしても、その数からしてなお旧松巖寺檀信徒の大多数には達しない旨主張するけれども、前顕各証拠に弁論の全趣旨を総合すれば、松山が檀信徒の大多数の者に不信任を表示されたものと認めるに十分である。証人桜井ユキ、佐藤兵悦、片里久一、木村よしゑ、上野賢一の各証言及び丙第一一号証(但し、この丙号証の署名中には、ほしいままに作為された署名ないし架空人名義の署名が相当多数含まれており、その全部の署名名義人が松山を信任しているものとはとうてい認められないこと原告本人尋問の結果により成立を認める甲第二七号証の一ないし一一に徴し明らかである)によれば、松山不信任同意署名書に署名した者のうちには、檀徒でない者(但し、それらの者でも旧松巖寺と信仰上全然無縁な者ではない)、署名の趣旨を充分理解しないでした者、又松山を信任する側に立つ者がそれぞれごくわずかいたことが認められるが、これらの事実も必ずしも右認定の妨げとなるものではない。又、証人松山岩王(第三回)、川原田生の各証言、丙第四六号証の二、乙第一〇号証の四、丙第一八号証の中、旧松巖寺の檀徒数に関する部分は、被告ないて参加人が旧松巖寺備付の檀信徒名簿を訴訟上提出しうべくして提出しない事実その他弁論の全趣旨に徴しにわかに措信できず、丙第一三号証、同第二四号証等も、証人川原田生の証言に徴すれば、これらの人名簿は、松山の在京文化活動に関与している者の名簿にすぎずもとより旧松巖寺檀信徒を表示しているものではないのであるから、これ又前記認定の妨げとなるものではない。又参加人は、松山不信任及び罷免に至る一連の経過は旧松巖寺の一部不逞分子とそれる使嗾した曹洞宗宗務庁の不当な策謀によるものである旨主張するが、丙第三号証の一ないし三、同第四号証をもつてしてもそのような事実を認めるに十分でなく、他に右事実を確認するに足る証拠はなく、かえつて、前記認定のとおり松山が規則認証申請期限の末日である昭和二七年一〇月二日提出した申請書には、本来右期限までに同時に提出すべき期限を初め必要な添付書類を添付せず、県当局の度々の催促にもかかわらず、これを右提出期限より一年半も後である認証決定の最終期限ぎりぎりの時に至つて急処追完提出するに至つた事実に、前顕事実認定の冒頭に掲げた各証拠を総合すれば、松山は曹洞宗からの離脱の意図を自己のいわば腹心の一部檀徒らに洩らしたことがあるに止まり、檀信徒に広く諮ることをせず(認証申請に必要な事前の公告をせず)、独断で秘かに単立新松岩寺の設立をはかつたため、これに反対する檀信徒大多数の不信を買つたものであることを認めるに十分である。また公告をしたとの点に関する乙第一号証の四、同第八号証、同第一〇号証の二ないし五、丙第一二号証、同三二号証ないし第三四号証、同第四二号証、同第四五、第四六号証の各一、二、同第四九号証、証人丹野朗山、桜井英清、高橋善作、松山岩王(第二回)の各証言は、原告本人尋問の結果(第二回)により成立を認める甲第二八号証の一、二、同三二号証、同第三三号証、成立に争ない同第三九号証、証人粕谷義雄、讃岐福三郎、及川喜一の各証言に照し、にわかに措信できず、その他適法な公告をしたことを認めるに足る証拠はない。
以上認定のように、松山は檀信徒の意に反して秘かに独断で単立新松岩寺の設立をはかり、これが直接の契機となつて檀信徒大多数の帰依を失つたのであるが、このような信仰上の重大問題についてとつた松山の行動が住職として甚だ不穏当というべきことはもちろん、不信任の遠因となつた墓地問題にしても、仮りに松山の真意が参加人主張のとおりであつたとしても、その手段としてとつた方法はこれ又甚だ不穏当といわざるをえないから、これらのことにより檀信徒が憤激して松山に不帰依を表明したのももつともなことというべきであり、しかも右紛争の経過に徴し、松山がこれらの者と融和して帰依心を回復することは期待しがたいというべきであるから、曹洞宗が松山を旧松巖寺住職として不適当と認めたことをもつて不当ということはできない。そうだとすると、曹洞宗がなした松山に対する罷免には、住職任免規程第一一条所定の事由が存するものといわなければならない。
(3) 被告は、本件罷免の真実の理由は松山が曹洞宗との被包括関係の廃止を企てたことにあると認むべきであるから、新法第七八条第一、二項の規定の類推適用により無効というべきである旨主張するところ、新法第七八条の規定が、旧宗教法人が新法附則の規定によつて新宗教法人となる場合にも類推適用されるものと解すべきことは被告主張のとおりであるが、本件罷免の時期が新松岩寺規則が宮城県知事に提出された日の後間もなくであるという一事によつて直ちに本件罷免の真の理由を被告主張のように推認するのは妥当でなく、又、証人川原田生の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告主張の頃川原田生が曹洞宗宗務庁を訪れた際、宗務庁側が川原田に対し、被告主張のようなことを述べたこと、又宗務庁庶務部長が松山の姉に対し被告主張のように述べたこと、がそれぞれ認められないことはないが、これらの事実をもつてしてもいまだ本件罷免が被包括関係の廃止を防ぐことを直接目的としてなされたものなることを認めるに十分でない。本件罷免は、むしろ、被包括関係の廃止に反対する檀信徒の意思を無視したため大多数の檀信徒から不帰依を表明された松山を、そのことの故に住職として不適当と認めてなされたものであること前記認定のとおりであるから、被告の主張は採用できない。
(4) してみれば、本件罷免は有効なものというべきであるから、これが意思表示が松山に到達した昭和二九年四月二六日限り松山は旧松巖寺住職の地位を喪い、それにともない旧松巖寺の主管者(代表者)たる資格を喪失したものといわなければならない。そうだとすれば、右罷免の後に松山が、旧松巖寺の代表者名義で申立てた訴願にもとずき同人を同寺の代表者と認めて同人宛なされた本件裁決が違法であることは明らかである。
(三) なお、参加人は、原告に対する後任住職の任命は旧松巖寺規則に定める後任住職選任の順位を無視し、かつ諮問機関に諮らずしてなされたものであるから無効である旨主張するが、証人朽木正己の証言に徴すれば、曹洞宗においては、住職罷免にともなう後任住職の任命というような特殊緊急の場合には、寺院規則に定める後任住職選任順位に拘束されず、檀徒らの意思を忖度しつつ職権で任命する慣例になつていることが認められ、旧松巖寺規則第一〇条に規定する選任順位の定めについても右のような解釈はあえて不当とは考えられないばかりでなく、証人粕谷義雄の証言及び弁論の全趣旨により成立を認める甲第三号証の二によれば、原告に対する後任住職の任命は、旧松巖寺法類総代が、檀徒総代と連名で、曹洞宗に対しなしたところの、松山罷免後の紛争途上のこと故後任住職は至急には選定しがたいから原告をもつて兼務住職たらしむべく選定した旨の兼務住職任命申請にもとずきなされたものであることが認められるから、旧松巖寺規則第一〇条に定める選任順位に必ずしも反するものでなく、その他の手続上の瑕疵もないのであつて、参加人の右主張は失当である。
四、最後に本件参加人の訴訟行為について一言するに、右説明したとおり、参加人の前記単立寺院設立行為は無効であるから参加人の法人格はこれを否定しなければならないが、右判断の過程で明らかなように、参加人は一応形式的に知事より規則の認証を受け、その設立の登記をし、しかも代表者の定めがあるから、参加人の本件補助参加は権利能力のない社団の訴訟参加として適法であつて、その訴訟行為も有効であると解する。
五、以上述べたところにより、旧松巖寺の住職たる原告が求める本件裁決の取消の請求は理由があるものというべきであるから、これを認容して本件裁決を取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九四条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 地京武人 桜井敏雄 石井玄)